大学生が初めてクラブに行った話をする
僕はどちらかというと社交的な人だと思う。ただ、クラブとかイベントとかそういったウェイウェイするような場所には行ったことがなかった。行く機会がなかったというより、行くのに抵抗があったと言うほうが正しいのかもしれない。
大学3年になってすぐのことだった。
知り合いの先輩と新宿近くの居酒屋で飲んでいて、終電をなくしてしまった。タクシーで帰ろうかと悩んでいたのだが、
「今からクラブに行こうぜ!」
と言われた。
その時は結構飲んでいたし、疲れていたのもあって率直に言うとすぐに家に帰りたかったのが本音だった。
それでも、クラブなんて行ったことがなかったし、先輩が乗り気だったからまあいいやって感じで、渋々承諾した。
時刻は深夜の0時だった。
近くでタクシーを捕まえて、六本木に向かった。外苑前は閑散としていた。信号機が点々と輝いている。遠くを見ればビルが照らし出されていた。昼間の東京とは真逆の風景だった。
青山一丁目の駅を過ぎ、交差点を左折した時だった。急に景色が変わった。辺り一面にビルの光が反射され、異様な風景が広がっていた。その目に映ったものは今まで見ていた夜の東京ではなかった。
何車線もある道路はタクシーでごった返しており、全く進まなかった。そこで僕たちはタクシーを降りてクラブまで歩くことにした。
歩道は人でいっぱいだった。
キャッチをしている外国人、酒に酔って潰れている若者、路肩には嘔吐した跡、袖からはタトゥーが見えている女性、、、
異国の地にいるような感覚に陥った。
六本木の夜を初めて味わった。
「今日は空いてるなあ」
どうやらクラブに着いたらしい。
人が並んでいた。受付の行列だったようだ。僕たちも並んだ。
行列はすぐに進んだ。受付では3000円払い、チケットを3枚貰った。1枚につき1杯飲み物が頼めるらしい。女性は1000円で3枚貰えるようだった。年齢確認なんてされない。高校生でも関係なく、誰でも入れるような気がした。
扉を開けて中に入った。
開いた瞬間爆音に耳がつん裂かれた。
人の流れに合わせて奥へと進む。EDMのリズムに合わせて内臓が揺れている気がした。クラブの中心では人が踊っていた。男女問わず。いや、音楽に合わせてはしゃいでいるだけだ。これは踊りとは到底言えない。
とりあえず飲み物を頼みに引換券を握りしめ、併設されているバーに向かった。
バーのカウンターの前は人でごった返していた。何十人、いや、100人はいるだろう。動けるスペースなんてない。人がひしめき合っている。窓は入り口にしかないこの洞窟で、煙草の煙が充満し、人々の汗が熱帯雨林に飛び込んだような気候を作っている。たかが飲み物を頼むことがこんなに困難なことなのかと思った。しかしこの湿度の中を踊るとしたら飲み物がなければ脱水症状を起こしてしまう気がした。僕は意を決して並ぶことにした。
並んでいると女性2人組に話しかけられた。
「学生さんですか〜?」
濃い化粧に露出の高い服。見るからにクラブに慣れていそうな人たちであった。その場の雰囲気もそういう感じだったので、暫く普通に話していた。
どうやら向こうは社会人らしい。普段の仕事のストレスをここで晴らしているのだろうか。
「お酒の引換券って何枚持ってる?」
と聞かれた瞬間、僕は気がついた。
こいつらは最初から飲み物を奢ってもらえるように話しかけたのだと。この券で最後だと言った。女たちはすぐにどこかへ消えていった。
やっとカウンターまで来れた。そこにはお酒のメニューがたくさん書いてあるプレートがあった。居酒屋にはないような名前のお酒がほとんどだった。多すぎてよくわからなかった。後ろからは何百人もの人がのしかかってくる。先輩とはいつの間にかはぐれてしまった。
前の人がお酒を受け取って、自分の注文になった。次から次へと人が割り込んできた。1日一回の食事の時間に群がる乞食のように。ここでは順番なんて関係ないのだ。
早く抜け出したかった。僕は頭の中にあった秩序という概念は捨てた。ここには秩序なんてないのだ。カウンターの向こうにいるスタッフに注文をした。よくわからないカタカナ語の飲み物にした。
しかし、大音量のBGMが響き渡っている洞窟である。
自分の声など聞こえるわけがない。出された飲み物を持っていった。これが自分の飲みたかったものかはわからなかった。
飲み物は手に入れたが、どうすることもできなかった。
女の子に声をかけることもできただろうし、ここに来たのなら普通はするはずである。
できないというより何もする気になれなかった。
中央の踊り場は最初見たときよりもさらに人が集まっていた。何年振りだろうか。僕は小学校の時に行った動物園を思い出した。
猿山に見えた。
猿たちが集まって踊っていた。
隅の方には一人がけのソファーがあった。僕はそこにずっと座っていた。
どれくらい座っていただろう。時刻は3時半だった。
僕は帰ろうと思った。先輩を探した。
猿山にいた。いつの間にか猿になっていた。
知らない女と腰を擦り合わせていた。
発情期の猿そのものだった。
「お先に帰ります」
僕はそれだけ言った。
先輩は了承したらしい。オッケーと言った気がする。
僕には「ウキー」としか聞こえなかった。
外に出た。とても涼しかった。
僕はタクシーを使って帰ることにした。
一刻も早く家に着きたかった。
タクシーを降りた。
外は明るかった。とても長い夜だった。
僕はすぐに寝る準備をした。
ポケットには飲み物の引換券が二枚入っていた。
おわり